新しい大国関係
新しい大国関係とやらを、最近目にする機会がある。
中国がアメリカを意識したものである。
いかにも、上から目線であきれ返るほかない。
文藝春秋の8月号の最終ページ近くの【自著を語る】の欄にある
『第一次世界大戦はなぜ始まったのか』にインスパイアされて
3連休のさなか、ワタシは大好きなタイガース戦が無いので
暇を持て余して、したためております。
時刻は7月20日に変わった夜更け。
明日は蟷螂の妻(自分でいうかぁ)と、和歌山は田辺の
竜神まで一泊旅行に出かけます。
さまざまな国々が、二つの大戦で体験した悲惨を
二度と繰り返すことのないように誓ったのが
戦後の世界のありようであったはずですが、
中国という国は、どうも時計の針を巻き戻し
他国の資源を奪い取って自国の13億の民を養っていく戦略に
邁進しているようだ。
大人げない大国に、オレたちで好き放題やろうよと
秋波を送られるオバマも困惑していることだろう。
大国であり、大人(たいじん)ならそれなりに振舞って欲しいものだが
その本質が幼稚なゆえの、情けない所業の数々。
最近はその猛威が、サイバー空間から宇宙にまで拡散している。
その主体が中国共産党という独裁体制ということは
自明のことである。
政治は政治として妥協せず頑張ってほしいが、
かたや商売相手としても付き合っていかざるを得ないのもまた現実である。
知人に聞いた話だが、かの国の貧富の格差は半端ではないらしい。
天安門広場を観光していた知人が、そのあまりの中国の観光客の多さに恐れ
案内してくれた中国の友人に、昼食をする場所の確保を懸念したそうな。
その友人曰く、<心配は無用です。
彼らは、郷里から出てくる電車賃をねん出するだけで精一杯ですから
まともなレストランでは食事できません。
われわれが食事する場所はいくらでもあります。>
ことほど左様に地方の農民と、子供を大学へ進学させることが可能な都市部の
人間の収入の格差は日本人の常識を離れているようだ。
眠いので、きょうはこのへんで。