長編野球小説<がんばれ、播但キャッツ>①
2013年10月24日 グランドプリンスホテル新高輪
この物語は、東京高輪のプロ野球ドラフト会議に始まる。
ときに、18時25分、進行役を務めるパリーグ・草柳事務局長のアナウンスは
3巡目に入った。
選択順位3位、播但、西播塩田高校、投手、薮井 研
ここに至る48回のプロ野球ドラフト会議において
無名の選手が上位に指名された例は、珍しいことでは無いし
無名がプロ入り後の活躍を排除するもので無いことは
これまた自明のことである。
無名といえば、これ以上に無名の選手は無い。
番組をライブ中継していたテレビ局のアナウウサーとゲストの
スポーツ新聞の名物記者が絶句し、数秒間音声が途絶えた。
それだけでは無い、カメラで大写しになるべきところに
出るはずの指名選手のテロップが出ない。
かれら報道関係のドラフト会議の候補選手のリスト、あまたある高校野球から
大学野球、はては社会人の有力選手のなかに薮井の名前は、
最初から存在してなかったからである。
もっと驚いたのは、指名を後から知らされた薮井本人である。
<あのはなしは、冗談じゃなかったんだ。>
そもそも研は、野球が嫌いだった。
へたくそなくせに、ひとつかふたつ年が違うだけで
横柄で、監督がグランドから姿を消したとたんに、下級生にバッタを押し付けて
近くのサ店に逃げ込む上級生に辟易としていたのであるが、なにより
炎天下、意味もなく砂埃にまみれながらグランドを馬車馬のように走らされるのに
耐えられなかった。そしてそれ以前に、研は勉強がキライでたまらなかった。
小学生のころ、研はサッカー少年だった。というより、家でゲームをやるより
外で走り回ることのほうが、性にあっていた。
西播(兵庫県の最西端)の田舎まちで生まれたかれの、
というより個人が辿る運命というものは
だれかに決めてもらうものでも無いし、もとより個人で決めるすべもない。
およそ個人の運命というものは、
誰であれそうあるものとして、この世に生まれてくるものなのだ。
それに先立つ2年まえ、1年の秋に、研はサッカーの自主練をサボッて
幼稚園のころからの友人・谷口俊平のいる野球部のグランドで、ダベっていた。
理由は、、。妹の友人田中咲のいるテニス部のグランドが近いという以外ないのだが
それを他人に悟られるのは、研のプライドが許さなかった。
運命の歯車は、個人のあずかり知らぬところでさりげなく、
しかし当たり前のこととして回り始めるのがこの世の、定めらしい。
その時、研は野球部の下級生が興じる遠投競争にまじって、
何気ない悪戯こころで軽く硬球を投げた。
硬球は田舎の野球部員の視線をあざ笑うかのように、45度の直線を描いて虚空に弾けた。
それを鳥肌が立つ思いで眺めていた男がいた。野球部監督とはいえ、名ばかりの田村正二だった。
<あんな、バカ肩の生徒がなんで、サッカー部にいてるんや。しかも左投げや。>
日を置かずして、研は、土埃まうグランドを馬車馬のように走らされていた。
田村の方針で、野球の基礎ができていない新米野球部員は、
とりあえず陸上部員もどきにさせられたのである。